大泉特別支援教室
去る12月28日、日伯学園(群馬県)で、NPO大泉特別教育支援教室の会合が開かれた。国立国語研究所の野山先生や、上智大学の拝野先生、大泉町役場からの出席者など、年末にふさわしい顔ぶれの会合となった。
報告の内容は、親が連絡無しに引っ越しをしてしまい学区が変更されたのを誰も知らなくて往生した話とか、「中学校に入学を断られた」というので、確認したら、学校の「ジャージを購入して欲しい」という指示に、親が「ジャージは買いたくない」と言い張り、それに対して、「ジャージがないと学校に通えない」と答えたのが曲解されていたとか、様々な話が飛び出した。
90年代に子供として来日した世代が、現在、20代後半から30歳前後になり始めている。来日後、両親が離婚したケースが非常に多く、落ち着いて生活をした経験も乏しい中で育った人々も多いようだ。そうした環境でダブルリミテッド(両方の言語が中途半端)となり、日本語はもちろん、ポ語で説明しても理解できない人が相当数いる。話を聞いているうちに、少し暗くなってしまった。
次のようなケースもある。親はブラジルに帰国したい。そのため、ブラジル人学校に子供を進学させたい。しかし、親自身が仕事にあぶれているのでブラジル人学校に子供を入れる経済力は無い。結局、子供をどこにも就学させない。
こうしたことが不就学児童を増やす原因になっていることがよくわかる。
また、「虹の架け橋」の補助金が終わったら、誰がこの子達の面倒を見るのかという課題も大きな問題として話されたが、この時点では具体的な解決策は語れなかった。せいぜい、新宿日本語学校としては、ベトナム難民子弟を引き受けた時の話を披露した程度だった。
ただ、参加して感じたことは、地域の方々と日伯学園の距離が非常に近づいていることだった。例えば、「虹の架け橋」の補助金が途切れた場合、次の可能性として、「子供手当を授業料に充当する可能性」などの話題も、地域の行政との連携なしには語れない内容だ。そうしたことも含め、児童の進学問題やそれに関する情報交換など、次世代育成に必要なことは互いに情報共有できることでいい地域の発展の可能性があるはずだ。
報告を聞いていると解決しなければならないことが山積みであることはわかるが、一歩一歩、確実に前進していることが感じられた。