デザインの仕事に就いてます

ジュハ(韓国)2008年修了
 今、韓国で、デザインの仕事をしています。航空会社や銀行のアプリを作っています。
 SNGで初級1から中級2まで、勉強しました。私は高校で日本語を勉強していたので、話すことはできましたが、文法や書く力が不足していたので、SNGのプレスメントテストでは初級1のレベルになってしまいました。もう少し上のレベルだと思っていたので、ショックでした。でも、初級1の先生から、もし希望するのなら上のレベルに行ってもいい言われましたが、初級1の基礎からしっかり勉強すると、もっと完璧な日本語力がつくとアドバイスがありました。それで、よく考えて基礎から学んでみようと決めました。その決断は、私の人生をよりよい方向に導いてくれました。
 初級1のクラスで出会った香港と台湾の友達は私にとってかけがえのない友達になりました。「家」という漢字を書くのが難しく、練習してもうまく書けませんでした。香港と台湾の友達が漢字の書き順を教えてくれました。とても助かりました。初級1のレベルになってしまったのは、悲しかったのですが、実際にはすばらしい友達と出会い、漢字を覚えるのを手伝ってくれて、とても嬉しかったです。
 社会見学で、江戸東京たてもの園に行き「千と千尋の神隠し」に出てくる銭湯があり、とても感激しました。それから、大学生との交流会もあり、法政大学の大学生と交流し親しくなりました。韓国と日本との歴史的な難しい関係に、とても気を使ってくれて、優しく接してくれました。お祭り、隅田川の花火、カラオケなどに連れて行ってくれました。初めて日本のかき氷も食べました。たくさんいい思い出があります。
 SNGで大変だったこと、辛かったことは、デザイン系の大学へ進学したかったのですが、私が多摩美を受験したいと先生に話したときは、すでに入試願書の提出日が締め切られ、受験することができませんでした。他の美術大学は受験できるといわれましたたが、私は多摩美で勉強したかったので、とても悲しかったです。それで、諦めて帰国し,、韓国にある日本のデザイン会社に勤めました。
 日本語を勉強しようと思ったきっかけは、中学生の時に、お母さんが日本人でお父さんが韓国人の友達ができました。彼女の家に遊びに行くと、お母さんが、お茶やお菓子を出してくれたり、とてもやさしくしてくれました。彼女の家に遊びに行くのが楽しかったです。どうしてもお母さんに感謝の気持ちを日本語で伝えたくて、友達に日本語を教えてもらいました。彼女は中学生の時の親友で、日本に興味を持つようになったのは、彼女の影響です。今でも交流しています。
 将来の夢は、映画の翻訳の仕事がしたいです。今、デザインの仕事をしていますが、映画の翻訳の仕事も両立できのではないかと思っています。韓国でKIM JAEHWANというアイドルがいます。彼女のソロアルバムの歌詞とインタビューの翻訳を手掛けたことがあります。いまでも日本語を忘れないように、日本語交流会で私より日本語ができない人のために日本語を教えています。そこに8年います。語彙の本を買って勉強しています。東野圭吾の小説が好きで読んでいます。
 在学生の皆さん、私は、毎日2時間、自分一人で単語を覚えました。会話が上達するためには単語を覚えないといけません。文法は学校で勉強しなければなりません。例文を先生とたくさん練習した方がいいです。できるだけ、自分の国の人より、他国の友達を作り日本語で交流してください。話す練習になり、日本語が上手になりますから。(2024-10-25来校)