中級基礎「作文」2025年春学期

私の夢
クエン(ベトナム)
 私は、誰にでも夢があると信じています。私の夢は成功者になることです。将来は自分の生活が幸せで、お金のことを心配しなくてもいいようになりたいです。そのうえ、自分の努力で両親の面倒を見ることができるようになりたいです。たとえば、両親が病気になったときには、すぐに助けてあげられるようになりたいです。なぜなら、私の家族は貧しいですが、いつも私の勉強を応援してくれているからです。
 その夢を実現させるために、日本へ留学したいと思っていました。幸いなことに、朝日奨学生だった妹の紹介で、朝日奨学金制度を知りました。そして、朝日奨学生として日本へ来ることができました。
 将来的には、優れた通訳者になりたいです。日越の架け橋となり、学んだ言語を通じて、両国の人々がお互いに理解し合う手助けをしたいと考えています。
 その目標を達成できるよう、現在は新宿日本語学校で一生懸命勉強しています。そして、将来は日本語能力試験N1を取得したいです。たとえチャレンジが障害に直面しても、あきらめずに目標を達成するまで努力します。

私の外国語勉強法
リ(中国)
 私にとって、日本語の勉強は楽しいことの一つです。私は日本語を楽しみながら勉強するのが大事だと思います。
 私が日本語を学び始めたのは、日本発売版のニンテンドー3DSを買ったのがきっかけです。3DSのシステムやゲームの言語が全て日本語だったので、ちょっとだけ学ぼうと思いました。最初はクイズゲームで五十音と基本的な語彙を覚えて、そして簡単な文章やニュースがだんだん読めるようになりました。その後、ツイッターアカウントを作り、ポケモン
 などいろんな公式アカウントをフォローして、面白いことやイベント情報などを中国のゲーマー同士でシェアしました。
 ある日、新しいポケモンのWEBアニメシリーズを発見しました。短いものでしたが、物語がとても感動的で、画面も音楽も素敵でした。しかし、当時中国の公式アカウントがなかったので、みんなにほとんど知られていませんでした。そこで私はそのシリーズを翻訳してみて、中国の弾幕ビデオサイト「ビリビリ」に掲載しました。これをやって本当に楽しかったです。
 その後も日本のアニメやゲームに触れ続けたことで、徐々に日本語に慣れてきました。

いつも変化する夢
ウェスリー(アメリカ)
 子供の時、私のおじさんは絵の描き方を教えてくれました。それ以来アートが大好きになったのを今でも覚えています。多分これは私の一番古い記憶です。小学校の頃は、よく絵を描いてばかりいました。有名なアーティストになりたいと思いました。それは私の古い夢でした。最近、私は絵を全然描かなくなりました。大学の時、私は映画制作を勉強しました。その時、毎日たくさん映画を見ました。そのおかげで、カメラで動画の作品を初めて作りました。それから、有名な映像作家になりたいと思い始めました。それは新しい夢だと思いました。卒業後、仕事は大変でした。
 映画を作るにはたくさんのお金が必要でした。数年後、私は夢を失い、普通の会社でビデオを撮っていました。さらに、世界の映画の中で日本の映画が一番好きでした。日本語の勉強を始めたのは、日本の映画を見たのがきっかけでした。日本のライフスタイルはとても魅力的だと思いました。一番好きな映画は「茶の味」と「リンダ・リンダ・リンダ」これらの映画を見て、日本に住みたいと思いました。長い間の夢でした。この夢は実現しました。私は今、日本に住んでいます。もし日本で映画の撮影に携わることが出来たら、とても幸せだと思います。最近、日本の伝統的な文化に興味があります。茶道と書道の授業を受けています。私は、わびさびのやり方がとても好きです。この技術を使って何をするかは分かりませんが、新しい夢ができつつあるのを感じています。未来がどうなるかはわからないけれども、私はただ作品を作り続けたいだけなのです。