偲ぶ会

 2025年6月25日(水)13時、故江副隆秀校長の偲ぶ会が椿山荘で行われました。出席者は230名程。当日は朝から強い雨が降ったりやんだりしていましたが、開催の時間が近づくと、雨も止み、椿山荘の緑の庭園がしっとりとした色あいになり、しばらくすると雲海も見ることができました。
 13時、惣万奈美子教務主任が司会を務め、開会の辞を述べました。一分間の黙祷をし、主催者代表である、理事長江副カネル隆二氏からの挨拶がありました。故江副隆秀校長は両親とともに日本語教育に携わり、10年後の1975年に日本語学校を開校した。品詞ごとにまとめた江副ノートを考案し、文法の可視化を実現し、その功績を称えました。   
 

 13時30分、4名の方々から弔辞が述べられました。島根県隠岐海士町役場町長の大江和彦様より、「隠岐の島と新宿日本語学校は10年間もの交流が続けられ、留学生達と島民たちは共に日本の文化に触れ会うことができた。校長は自立、攻めの攻略であった。常に挑戦する姿勢を校長から学んだ」という弔辞でした。
 公益社団法人東京都専修学校各種学校協会会長の多忠貴様より、「留学生一人一人に寄り添い、温かいまなざしで接していた。情熱があり、学生ファーストだった。常に学生のために良い学校を作ろうとおっしゃていた」という弔辞でした。
 学校法人香川学園メロス言語学院理事長香川順子様より、「全学日協を立ち上げ、日本語教育の発展に尽力した。ガンと分かった時、前向きで良い形で生きようとしていた。『しっかりたのみますよ。これからが勝負だよ』とおっしゃいました。その思いをしっかりと引き継ぎます」と涙ながらの弔辞でした。
 最後に、新宿日本語学校顧問森恭子先生より「50年の歳月を日本語教育に尽くされた。20か国以上の国へ日本語を教えに行った。聞くすべての人を魅了した。文法の説明をしないで教えることができた。骨身を削って日本語教育に携わった、常に新しいものに挑戦していった」と身近に接していた森先生ならではの弔辞でした。
 

 13時40分、故江副隆秀校長のビデオが流され、13時50分閉会の辞があり、献花が行われました。
 

 14時10分、故人を偲び、ビュッフェスタイルの立食での会食が始まりました。以前働いていた教務の先生方、事務局のスッタフも大勢出席していたので、まるで同窓会のようでした。「みんな元気かな?よく来てくれたね。嬉しいよ」と故江副隆秀校長が微笑んでいるように思われました。