名前について
コウ(パラグアイ)
私には名前が三つある。一つ目は英語、その次はスペイン語、そして最後に日本語の名前がくるのだ。名付け親である父親に聞いたところ、国際的に活躍できるように、どこにいても困らないような名前を付けたかったそうだ。おかげで三つもつけてくれた。これは、私に限らす、兄も同様に名前が三つあるのだ。
私は、この事に今まで不満に思ったことはなかったが、日本に来てからはさんざんな目に遭った。役所や銀行の手続きなどで名前が入りきらないことが多く、署名をする時はすべて書かなければいけない。とても厄介なことになるのだ。こういう時には、もう少し名前を減らしてもよかったのではないかと思ってしまう。しかし、これを除けば、私は自分の名前が大好きだ。特に気に入っているのは、日本語の名前「こう」だ。漢字は「光」と書く。日本でもそこまで多くない読み方の名前であることもあって、小さい頃はあまり好きではなかったのだが、時が経つに連れ、それを個性と捉えるようになった。今やその名前で本当に良かったとつくづく思う。
これからも名前を裏切らぬよう、光るような人生を歩んでいきたい。
カンココ(ミャンマー)
私の名前はカンココである。この名前は母が作った名前である。生まれたときからずっとこの名前で自分もこの名前が好きである。
ミャンマーでは名字がないので、カンココはフルネームである。カンココという名前は2つの部分に分けられる。「カン」と「ココ」で「カン」の意味はミャンマーで男の名前で「まじめ、男前、じょうぶ」である。「ココ」は「おにいさん、せんぱい」という意味がある。母がこの名前をつけた理由は、まじめでしんらいできる男にさせたいからである。私はこの名前の「カン」と言う部分が好きである。自分は個人的に「まじめ」と言う言葉が一番好きで、こう言う言葉が自分の名前であることはうれしい限りである。意味が分かるミャンマー人がその名前を呼ぶたびに、自分は満足感を感じている。年をとったら、もっとこの名前はよりよく自分と合う気がする。ミャンマー語で、年上の男を呼ぶ時、「ウー」をつけて呼ぶ。なので、自分の名前は「ウーカン」になる。意味もいいし、呼ぶ人も覚えやすいし、自分も好きなので、最高だと思う。
以上の理由で、私はこの名前を付けた母にいつもありがたいと感謝している。
メイ(マレーシア)
私の正式の名前はLEE JIA MEIである。だが、中国語で書けば、「李佳美」だ。
ローマ字の名前だけ見れば、意味がないと思うが、中国語の文字を見れば、深い意味が含まれていることが分かる。「李」は名字であり、桃の木に関係がある。名字は父から伝わってきて、家族の名前とも考えられる。「佳美」は私の本当の名前だと考えられ、親がよく検討してから選んだ名前なのだ。「佳」は優れているという意味があり、「美」は美しいという意味を表している。私は中華系だとしても、中国語が書けないが、私の名前だけは子供の時から書けるように練習してきた。
私の名前は、中国語を知らない親が一生懸命他人に尋ね、多様な文字の意味を一つずつ検討してから選んだ文字だ。そのため、私は今まで、自分の名前を大切にしている。私の名前は親の祈願や希望などが多く入っており、親の最も貴重なプレゼントだと思う。自分の名前は自分のアイデンティティー。だからこそ、いい加減に変えることはできないと考えている。
したがって、私は「李佳美」と呼ばれていることに誇りがある。この名前は簡単に消えるものではなく、親からの最高のプレゼントなのだ。
ケン(香港)
自分の名前は正直に言うと、嫌いだ。
しかし、姓の「劉」の由来は全く知らない。私は、香港では9割以上の人が自分の名字の由来を知らないと思う。百家姓という、中華系で一番多く使われている姓のランキングで、「劉」は第四位だということだけ知っている。
それに、「子健」の部分は父母が考えた名だ。意味はすごく簡単で、ただ自分の子供の健康をよくしてほしいという意味だ。しかし、同じ「子健」と呼ばれる人が多くいることを知っている。医者や議員など、同じ名が使われていて、よく聞いたことがある。
では、姓と名を組み合わせたらどうだろう。同じ名前で呼ばれている人も知っている。その人は映画製作で撮影を担当していて、最近多くの映画を撮影し、香港ではかなり有名だ。しかし、それでも嫌いだ。
この名前が全く稀ではなくて、すごく悔しいと思っている。二文字で、「慕容」や「歐陽」などの、かっこいい名前がほしい。
スビル(ネパール)
私は「タマンスビル」という名前で呼ばれている。ここではタマンは名字で、スビルは名前である。
タマンという名字の中にもそれぞれの小名字がある。私の場合は、実際の名字はロプチャンである。
ところが、ロプチャンと言ったら、本名は分かりにくい。だから、ほとんどの人はタマンという名字を使用している。自分の国には125種の名字があり、その中にもそれぞれの名字がある。
他人に対して「タマン」といったらどんな「タマン」かわかりにくい。この場合、ロプチャンスビルと使用すると、みんなが分かるのだ。2011年の人口調査により、タマンという名字の中には60以上の小名字があることが分かった。
同じ名字の人とはけっこんできないため、タマンの中にもどんな名字のタマンだろうということが分からなければならない。
確かに、ロプチャンという名字を付けるのは「タマン」名字の人だとすぐ分かるが、別のカテゴリーの民族であれば、分かりにくいため「タマン」という名字を使用する。あとスビルという名前もめずらしくて、なかなか聞いたことがない。
したがって、他人とかぶらないように、ユニークな名前と、みんなが知っている名字を付けるべきだ。