
イベント
-
日光バス研修
夏学期 2025年7月25日(金)
2025年7月25日(金)、日光バス研修が行われました。これは、校外学習の一環で、各クラスで事前に日光東照宮、田母沢御用邸、中禅寺湖について学習しました。バス16台、学生約630人と教職員約40人で出発しました。当日の朝は晴天でバスツアーには最適な日でした。人数が多いため、1から3班に分かれて行動しました。1班は1号車から6号車、2班は7号車から11号車、3班は12号車から16号車。
混雑を避けるために、それぞれ班によって学生の集合時間とバスの出発時間をずらしました。それでは、2班の様子を紹介します。
集合時間7時35分、無事8時に出発。東北自動車道に乗り、9時30分、佐野サービスエリアで20分間の休憩を取りました。10時40分、日光東照宮に到着、栃木県日光市にある神社で、徳川家康を神格化して祀ったところです。世界遺産にも登録されています。豪華絢爛な建築と彫刻で知られ、中でも『見ざる聞かざる言わざる』の猿の彫刻が有名です。まず、石の鳥居をくぐると、五重塔が左にあります。五重塔には、十二支の動物が彫られていて、正面に彫られている寅、卯、辰は、家康とその子孫だとされています。
鳥居の先にある、金と白の印象的な色あいの陽明門は、あまりの美しさで日が暮れるまで眺めても飽きない門「日暮らしの門」と呼ばれています。時間があまりなかったので、陽明門を見学して、次の目的地の中禅寺湖へ向うため、バスの駐車所に向いました。そこで急に大雨になりました。一応傘は携帯するように諸注意に書いておいたので、皆傘を差しながら急いでバスまで歩きました。2番目の目的地の中禅寺湖は、日光市にある湖で、奥日光の入口にあります。日本で最も高い場所にある湖です。標高1269m、周囲は約25㎞、最大水深は163m。約2万年前の男体山の噴火により、溶岩で渓谷がせき止められてできた湖です。中禅寺湖の遊覧船に乗り場へ向うために急ぎました。10号車と11号車のバスは急いだため、遊覧船乗り場を通りすぎてしまい、慌てて引き返し、「皆、走って!」と号令をかけ、必死に走って時間ギリギリで乗り場につきました。遊覧船も時間まで待っていてくれて助かりました。船に乗ると、皆、上の方へ上がり、涼しくて周りの美しい景色を楽しそうにスマホで撮っていました。
3番目の目的地は日光田母沢御用邸でした。国の重要文化財に指定されています。これは、日光出身の銀行家の小林年保の別邸に当時、赤坂離宮などに使われた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、その他の建物は新築されました。明治32年(1899)に、大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営されました、その後、小規模な増改築を経て大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在のようになりました。
戦後は、博物館や宿泊施設、研修施設として利用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復、整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。
建物は、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式を持つ集合建築で、現存する明治,大正期の御用邸の中では最大規模のものです。着物の展示、畳の縁の柄、襖の絵など、まさに、ザ・日本でした。特に庭園に霧がかかり静寂で美しさが際立ちました。これらの建築や庭園から、当時の建築技術や皇室文化を見ることができます。四季折々の風情ある庭園と御用邸の100年に及ぶ荘厳な趣を学生たちは、大いに堪能できました。今回はビジネスクラスの学生を数名各バスに配置しました。日本語レベルも高く、色々と慣れているので、とても助かりました。「先生、今、何人しかいません」など人数確認を任せたりしました。16l時に御用邸を後にしました。
17時頃、東北自動車道に乗り、羽生パーキングエリアで休憩し、無事18時半頃に高田馬場に戻ってきました。学生たちは日本の歴史文化に触れ有意義な一日を過ごすことができました -
七夕
2025年7月7日
七夕は「たなばた」または、「しちせき」とも読みます。古くから行われている日本のお祭です。
毎年7月7日の夜に願いごとを書いた短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りする習慣で、一年間の重要な節句をあらわす五節句の一つです。天の川の両脇にある牽牛星と織女星とが一年に一度会います。7月7日の夜の年中行事です。中国由来の気巧奠(きこうでん)の風習と日本の神事の「たなばたつめ」の信仰とが習合したものと考えられています。
奈良時代から行われ、江戸時代には、民間にも広がりました。庭前に供え物をし、笹竹を立て五色の短冊に歌や字を書いて飾り付け、書道や裁縫の上達を祈りました。
この五色の色は、木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は黒または紫で、この五色を短冊や吹き流しにして使用することにより、魔除けの意味を待たせたと言われています。古代中国の陰陽五行説に基づいています。
毎年、SNGの七夕はご近所の御厚意により笹竹を戴き、それに学生が思い思いの願いを書いた短冊をつるしました。日本語の上達、合格祈願、世界平和、健康などが書かれていました。よほど日本が好きなのか「日本に永住できますように」「日本の家を買いたい」とか、「今年は日本語で細雪を読みます」など日本文学に精通している学生がいることを知って驚きました。「国へ帰りたいです」と書かれている短冊もありました。また、地球温暖化で「早く涼しくなるように」「眠れるように」など、夜も暑くて寝苦しいことが見受けられました。
今年は東京女子大学の教育実習生が丁度七夕の時期に来ていたので、実習生のアイディアで豆つかみ、射的やコイン落としのゲームも催され、活気に満ちた一日でした。
1号館202枚、2号館38枚、3号館228枚、合計468枚の色とりどりの短冊が笹竹につけられました。 -
自分だけのキーホルダー!
専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ ワークショップ
2025年5月27日(火)13時半から15時、専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジのワークショップが開かれました。今回はキーホルダーを作りました。参加者は9人、アメリカ(4)、ドイツ(2)、シンガポール(1)、メキシコ(1)、コスタリカ(1)合計9人が参加しました。専門学校の二人の講師が作成を指導してくださいました。
まず、13時半から、約30分間、専門学校の紹介ビデオを見て、14時から、クリアポーチ・キーホルダーの説明がはじまりました。色々な柄のシートが机の上に並べられました。星柄、アイスやチョコレートのお菓子柄、サクランボ、バナナ、アボカドなどのくだもの柄、自分の好きな柄を選び、長細いシートを折り曲げて三角形にします。先生が「シートには裏と表があります」と説明し、いくつか小さい穴があけられていて、その穴に金づちで叩きながら金具をはめていきます。先生のデモが始まり、シートにあけられているいくつかの小さい穴に、金具を入れ、金づちで「トントン」と叩き始めました。「このくらいの音と力で、叩いてください」「金づちの音を聞いてくださいね」と言いながら、「トントン」と叩くと、皆一斉に金づちを手に取りました。
初め、学生たちはおそるおそる叩いていましたが、段々とコツを覚えて、楽しそうに作っていました。キーホルダーをつくるワークショップなので、申し込んできた学生は、器用な人が多く、細かい作業過程をとても楽しんでいました。先生方の日本語の説明もかなり勉強になったようです。
-
YMCA高等学院生との交流会
2025年5月13日(火)10:30~12:10
西早稲田にあるYMCA高等学院に通う日本の高校生10名と、新宿日本語学校の留学生との交流会が開かれました。交流会では、3つのグループに分かれ、留学生が、スマホの写真を見せながら自分の国の紹介をしました。質問を受けたり、答えたりしながら、楽しく交流ができるのを目的としています。場所は1号館隣のアネックス。5月は2回に分けて行われ、13日は香港のアイさん、フランスのイラリオさん、インドのアンカンさんがそれぞれの国の紹介をしてくれました。それでは、その時の様子を紹介します。
まず、フランスのイラリオさんのグループに入ってみました。彼はスマホの画面を見せながら、「これはフランスの地図です」「パリはどこですか?」「私はニースから来ました」「フランス人半分、イタリア人半分です」と陽気に話し始め、高校生たちも彼の明るさに引き込まれていきました。「これはパン」おいしそうなパンの写真を見せ、「パン・ショコラ、クロワッサン!」、チーズの写真を見ながら「種類が多いです」、「ワインはとっても美味しい」と言い、ラタティーユ、ビーフの煮込み、キッシュ、ラクレット、エスカルゴ、というふうにどんどん料理の写真を見せてくれました。「これは何?」「エッフェル塔!」、「このお城は?」「ベルサイユ宮殿!」イラリオさんは初級なので、日本語は簡単な短文ですが、それでも十分に交流ができました。「これはニースです!」と彼の出身地をとても楽しそうに紹介していました。
香港のアイさんのグループでは、まず香港の地形について話していました。アイさんは中級1特進レベルなので、日本語がとても流暢でした。香港は九龍、レンタオ島、香港島、新界という4つのエリアからなり、昔は漁村で、100年前イギリスの植民地になりました、と説明していました。香港の地形の7割が山で、世界三大夜景の一つと言われているビクトリアハーバーの夜景、路面電車や九龍半島と香港島との間を運航する船のスターフェリー、アニメの九龍ジェネリックロマンスなども紹介していました。次に教育制度の説明があり、幼稚園の写真を見せながら、妊娠中には幼稚園の願書を出し、申し込むそうです。香港の教育熱心さが伝わって来ました。20年前に日本と同じ教育制度になり、専門学校が多く、大学進学率は20%くらいということでした。教育制度についてもしっかりと調べてありました。
インドのアンカンさんは、ベンガル地方の出身で、わざわざベンガルの民族衣装を着て参加してくれました。初め簡単な自己紹介から始まりました。日本語を勉強しようとしたきっかけは、日本で仕事がしたいからだそうです。日本の好きな食べ物はラーメン、おにぎり、トンカツ、すしだそうです。まず、カレーの紹介から始まり、インドの民族衣装のサリー、子供のフェステバル。観光地としてタージマハールやインディアゲートを紹介していました。インディアゲートは、第一次大戦で戦死したインド人兵士の慰霊のために、パリのエトワール凱旋門をもとに設計され、1931年に完成した門です。教育制度は、初等学校5年と上級初等学校3年で、小学校は合計で8年間あります。そのあと中学校・高校が4年、大学が3年ということでした。アンカンさんも初級でしたが、知っている日本語を駆使して高校生たちに一生懸命説明し、楽しそうに交流を深めていました。
-
グンデさん、おめでとう!
2025年2月7日(金)13:00から、全国専門学校日本語教育協会主催の第37回日本語学習外国人留学生日本語弁論大会が代々木にある文化学園で開催されました。新宿日本語学校からは、上級Ⅰ進学クラス、モンゴルのグンデさんが出場し、みごと奨励賞を受賞しました。その時のスピーチ原稿を掲載します。
思い出
私は、良い思い出は生きる力になると思っています。
私は来日してからもう9カ月になります。最初は、新聞配達の仕事と学校をうまく両立することができなくて、慣れるまで簡単ではありませんでした。
ある日、胸が切なくて、泣きたくなり、ルームメイトに心配をかけたくないので、「コンビニへ行ってきます」と、うそを言って外へ出かけました。誰もいない公園に行って、ブランコに座って、たくさん泣きました。
伝えたいことがあっても日本語で上手に話せない、相手の言っていることもよくわからない、試験の点数も良くない、もう散々でした。その上、この日、留学生にとって、一番大事な在留カードと、財布すべてをなくしました。元いた場所へ戻って、探しても、警察に聞いてみても見つかりませんでした。これまでいつも「頑張れグンデ! あなたは何があってもできる」と言い聞かせてきた私ですが、その日はもう力がなくなり、ただただブランコに座って、涙があふれていました。
ちょうどその時、モンゴルの母から写真が送られてきました。アイスクリームの模様がある黄色いドレスを着た私と両親が一緒に写った写真でした。
懐かしいですね。そのドレスをプレゼントとしてもらった、7才の誕生日が昨日のことのようです。母は「グンデの誕生日だから好きな料理を作ってあげるわ」といって、カチャカチャと、料理を始めました。まもなく、父が帰ってきました。父の姿を見て、遊んでいた弟2人と私は大喜びしました。父は「私のかわいいグンデ、お誕生日おめでとう」と言いながらバッグからあの黄色いドレスを出しました。私はそのドレスを見て少しがっかりしました。「お父さん、どうしてピンクじゃないの?グンデはピンクが好きだよ」と言いました。その時、父は「太陽は黄色でしょう。グンデは明るくて、暖かい心を持っているから、この色もきっと似合うと思ったんだ」と言いました。「じゃ、グンデはお父さんの太陽だね」と喜んで、大きな声で笑いました。本当に幸せな気持ちで満たされていました。
その思い出が浮かんできて、泣いていた私は、すぐ心が晴れて、落ち着きました。その日から太陽の暖かさを感じるたびに、この思い出が心の中に浮かびます。
このことから悲しくて、諦めそうになった時、辛くて迷った日々に、良い思い出は心の中を灯してくれ、私たちを支えてくれることがわかりました。
私はこれからも良い思い出を大切に持ち続け、嫌な思い出は良い勉強になったと思うことにして、さらに、今後もっと豊かな思い出を作っていきたいです。しかし、そのためには、今この瞬間を大切にすることが必要です。家族や友達の絆を深め、小さな喜びを見つける習慣を持ちたいと思います。
私たちの心には、思い出という種を蒔くことができます。その種がやがて大きな木となり、私たちを支える豊かな森を育ててくれるでしょう。皆さん、これからも幸せな思い出をたくさん作り、自分自身の森を育てていきましょう。
ご清聴ありがとうございました。



