イベントやプロジェクト以外の活動を紹介します。

  • ペチュニア

     ペチュニアは、ナス科ベチュニア属の一年草または、宿根草です。原産は南アメリカで、春から秋にかけて長く咲きます。
     花色は赤、ピンク、紫、白など、いろいろな色があります。花の姿が朝顔に似ているので、「ツクバネアサガオ」という別名もあります。
     比較的育てやすい花で初心者向きですが、いくつか注意点があります。日当たりの良い場所を好みますが、夏の強い西日はさせてください。水やりは、乾燥気味を好むので、水のやりすぎには注意してください。水はけの良い土を好みます。肥料は開花期に液肥を定期的に与えるといいです。花が終わったら、切り戻しをしましょう。新しい花を咲かせることができます。

    花言葉:自然な心

     


  • ズッキーニ

     ズッキーニは、ウリ科カボチャ属の一年生の果菜です。英名はzucchini、学名はCucurbita pepo ‘Melopepo’、外見はキュウリに似ていますが、カボチャ(ペポカボチャ)の仲間で、主に緑と黄色の果種があります。夏野菜で、カボチャより低カロリーです。
     名称については、色々あります。イタリア語でzucchina(ズッキーナ)、南米ではzapallo italiano(サパージョ イタリアーノ)、アメリカとオーストラリア英語では、zucchini(ズキーニ)、イギリス英語やフランス語ではcourgette(カージェット、クルジェット)と呼ばれています。、
     和名はウリカボチャで、カボチャの仲間ですが、蔓が長く伸びないので、蔓なしカボチャという異名もあります。
     原産地は、北アメリカ南部のテキサス州からメキシコと言われています。ヨーロッパには16世紀頃、アメリカから持ち込まれました。日本では、1970年頃、イタリア料理が広まり、アメリカから輸入され、広まっていきました。
     育て方は、栽培時期が4月から夏までで、春に苗を植え付け、初夏から夏の間に収穫します。発芽適温は25度くらいで、生長が早く、植え付けると1ヶ月くらいで収穫でき、育てやすいです。肥沃な土地であれば、特に問題なく育ちます。花期は6月頃から8月に黄色の花を咲かせます。


  • 偲ぶ会

     2025年6月25日(水)13時、故江副隆秀校長の偲ぶ会が椿山荘で行われました。出席者は230名程。当日は朝から強い雨が降ったりやんだりしていましたが、開催の時間が近づくと、雨も止み、椿山荘の緑の庭園がしっとりとした色あいになり、しばらくすると雲海も見ることができました。
     13時、惣万奈美子教務主任が司会を務め、開会の辞を述べました。一分間の黙祷をし、主催者代表である、理事長江副カネル隆二氏からの挨拶がありました。故江副隆秀校長は両親とともに日本語教育に携わり、10年後の1975年に日本語学校を開校した。品詞ごとにまとめた江副ノートを考案し、文法の可視化を実現し、その功績を称えました。   
     

     13時30分、4名の方々から弔辞が述べられました。島根県隠岐海士町役場町長の大江和彦様より、「隠岐の島と新宿日本語学校は10年間もの交流が続けられ、留学生達と島民たちは共に日本の文化に触れ会うことができた。校長は自立、攻めの攻略であった。常に挑戦する姿勢を校長から学んだ」という弔辞でした。
     公益社団法人東京都専修学校各種学校協会会長の多忠貴様より、「留学生一人一人に寄り添い、温かいまなざしで接していた。情熱があり、学生ファーストだった。常に学生のために良い学校を作ろうとおっしゃていた」という弔辞でした。
     学校法人香川学園メロス言語学院理事長香川順子様より、「全学日協を立ち上げ、日本語教育の発展に尽力した。ガンと分かった時、前向きで良い形で生きようとしていた。『しっかりたのみますよ。これからが勝負だよ』とおっしゃいました。その思いをしっかりと引き継ぎます」と涙ながらの弔辞でした。
     最後に、新宿日本語学校顧問森恭子先生より「50年の歳月を日本語教育に尽くされた。20か国以上の国へ日本語を教えに行った。聞くすべての人を魅了した。文法の説明をしないで教えることができた。骨身を削って日本語教育に携わった、常に新しいものに挑戦していった」と身近に接していた森先生ならではの弔辞でした。
     

     13時40分、故江副隆秀校長のビデオが流され、13時50分閉会の辞があり、献花が行われました。
     

     14時10分、故人を偲び、ビュッフェスタイルの立食での会食が始まりました。以前働いていた教務の先生方、事務局のスッタフも大勢出席していたので、まるで同窓会のようでした。「みんな元気かな?よく来てくれたね。嬉しいよ」と故江副隆秀校長が微笑んでいるように思われました。