• 上級Ⅰ「作文」 2025年冬学期

    友達は多い方がいい

    オスカー(香港)
     社会で誰でも「友達は多い方がいい」と言う意見はよく聞く。小学生でも中学生でも高校生でも大学生でも、みんながずっと新しい友達を作って、自分と他人の人間関係をたくさん作ろうと思っている。でも僕はそうは思わない。
     なぜかと言うと、その理由の一つ目は、自分は友達を作っている中で無理をしているからだ。二つ目は、その友達は本当に自分のことをちゃんと思ってくれるか疑問に思うからだ。
     理由と言うか疑問ではないかと言いたいかもしれない。しかしまずは一度考えてみてほしい。なぜあなたはそんなにたくさん友達が必要なのか?生活のため?勉強のため?仮にあなたは今友達が二十人いるとしたら、あなたは一日中その二十人に構っている時間はあるか?もちろんそれは勉強や仕事の時間を除いての話だ。
     もう一つの例えがある。あなたは友達を作っている間に、無理をして、話題を合わせることがあるのではないか?私はもっとたくさん友達を増やしたいと言う気持ちに引っ張られて、無理やりに友達を作る人もいるだろう。その人はA子と話す時はAの話題で話し、B男と話す時は、Bの話題で話す。しかも毎回相手が言った言葉や好き嫌いを覚えなければならない。その上ずっと自分の本音を言えないかもしれない。果たしてそれは友達といえるだろうか?僕にとって友達は、家族以外で自分の本心を言うことを許してくれる存在だと思う。もし自分が思ったことを友達に言えないなら、それはもう本末転倒だろう。
     友達は別に少なくても大丈夫だと思う。真剣にあなたのことを思ってくれて、ピンチの時しっかりあなたを助けてくれる人だからこそ、友達であるのだ。

    アリ(フランス)
     子供のころからよく聞く意見は「友達はたくさんいる方がいいよ」だ。私もそう思っている。たしかに、人間関係は生きるために必要だからだ。
     うれしい時も悲しい時も友達がいれば楽になる。人が多ければ多いほど、みんながたすけ合うことができると考える。私は一人っ子として、ずっと兄弟がいる友達がうらやましかったから、家族のような友達をたくさん作りたかった。フランス語では「人が多ければ多いほど笑える」と言う表現があるから、みんな友達の良さがわかる。
     たしかに、反対する人もだいぶいると思う。たとえば、一人でゆっくり過ごしたい人や家族が多い人などは友達はそんなに多くはいらないと思うかもしれない。また、新しい友達を作るのは難しくて、失敗する時もあることは言うまでもないからだ。
     しかし、いろいろな人と話したり、過ごしたりすると視野が広がるに違いない。自分のことばかりになったら、自分は改善できないと思う。友達が少なかったら、みんな同じ考え方と意見を持っていくことになるだろう。
     つまり、友達が多い方がいいと考えている。いろいろな人と話し合ったり他の意見を受け取ったりしたら、自分がよりおもしろくて成長した人になれる。つらい時にも誰かが手伝ってくれるのが何よりいいのではないだろうか。

  • 上級Ⅲ「上野動物園」2025年冬学期

    社会見学 2025年1月24日(金)

    オルガ(ロシア)
     上野動物園に見学に行った日は、天気がすごくよかったです。朝から暖かくて、晴れていました。そんな天気のおかげで見学に行くことはもっと楽しくなりました。
     一方、現在1月なので沢山の動物達は見られなくなりました。例えば、皆が楽しみにしていたマヌルやオカピがお休みでした。その上、パンダは人気がすごいので、パンダを見たい人達は30分ほど待つしかなかったのです。
     それでも私にとって見学はとても楽しかったです。そのハイライトの中に壁を舐めていたトラさん、えさをいただいていた北極熊、じっとしたハシビロコウがいたのです。夜の森とビバリウムも雰囲気が本当に特別でした。
     その見学がちゃんと楽しめた理由がもう一つあります。その理由は、私と一緒に動物園の魅力を調べたクラスメートたちでした。一緒に動物を見たり、喋ったり、笑ったりしてくれた人がいたからこそ、見られなかった動物がいたけれど、見学が本当に楽しかったです。

    ノノ(ミャンマー)
     社会見学として上野動物園に行きました。動物園に行くのは久々だったので、ワクワクしました。けれど、ほとんどの動物が休みだったので残念でした。とくにマヌルネコが見られなくてがっかりでした。それにしてもハシビロコウを近くで見られて、写真をとるときカメラの方に向いてくれて、うれしくて何枚かの写真をとっちゃいました。推しからのファンサービスをもらった感じでした。
     次はトラのところへ行きました。小さいころは、あんな近くで見られなかったので、興味なかったけれど、ここはちがっていました。自分とトラの間に一面のミラーがあって、まるで中にいる感じがしました。トラはかっこよくて動作がかわいかったです。トラとハシビロコウで六百円にあたいすると思いました。ハシビロコウは、君たちはどう生きるかの映画にでたので、ずっと見たかったんです。「夜の森」に行ったとき、自分は暗いところや洞窟が苦手なのでオリガさんが手をつないでくれて、感動しました。それが最高の思い出です。

    リン(台湾)
     先週の金曜日は4回目の上野動物園でした。動物が大好きなので、去年は1人で3回も行きました。今回は郊外見学として、先生やクラスメイトと一緒に訪れました。
     前回行った時は、夏休みだったので、シロクマが見られませんでした。でも今回は見られて、嬉しかったです。
     そして、初めて両生爬虫館に行きましたけど、中はめっちゃ暑かったです。さまざまな種類のヘビやカメが展示されています。ワニも見ました。どれものんびりして休んでいました。
     そういえば、今回も初めてヘビクイワシを見ました。かっこよくてきれいで、非常に気に入りました。でも、やっぱり一番好きなのは、ハシビロコウです。大きいけど、ぼやぼやしていて面白そうでした。
     マヌルネコが見られなかったけど、マヌルネコのマグネットを買いました。本当に可愛かったので。
     とても楽しい一日を過ごすことができまし

  • 上級Ⅲ進学「作文」 2024年秋学期

    名前について

    コウ(パラグアイ)

     私には名前が三つある。一つ目は英語、その次はスペイン語、そして最後に日本語の名前がくるのだ。名付け親である父親に聞いたところ、国際的に活躍できるように、どこにいても困らないような名前を付けたかったそうだ。おかげで三つもつけてくれた。これは、私に限らす、兄も同様に名前が三つあるのだ。
     私は、この事に今まで不満に思ったことはなかったが、日本に来てからはさんざんな目に遭った。役所や銀行の手続きなどで名前が入りきらないことが多く、署名をする時はすべて書かなければいけない。とても厄介なことになるのだ。こういう時には、もう少し名前を減らしてもよかったのではないかと思ってしまう。しかし、これを除けば、私は自分の名前が大好きだ。特に気に入っているのは、日本語の名前「こう」だ。漢字は「光」と書く。日本でもそこまで多くない読み方の名前であることもあって、小さい頃はあまり好きではなかったのだが、時が経つに連れ、それを個性と捉えるようになった。今やその名前で本当に良かったとつくづく思う。  
     これからも名前を裏切らぬよう、光るような人生を歩んでいきたい。

    カンココ(ミャンマー)

     私の名前はカンココである。この名前は母が作った名前である。生まれたときからずっとこの名前で自分もこの名前が好きである。
     ミャンマーでは名字がないので、カンココはフルネームである。カンココという名前は2つの部分に分けられる。「カン」と「ココ」で「カン」の意味はミャンマーで男の名前で「まじめ、男前、じょうぶ」である。「ココ」は「おにいさん、せんぱい」という意味がある。母がこの名前をつけた理由は、まじめでしんらいできる男にさせたいからである。私はこの名前の「カン」と言う部分が好きである。自分は個人的に「まじめ」と言う言葉が一番好きで、こう言う言葉が自分の名前であることはうれしい限りである。意味が分かるミャンマー人がその名前を呼ぶたびに、自分は満足感を感じている。年をとったら、もっとこの名前はよりよく自分と合う気がする。ミャンマー語で、年上の男を呼ぶ時、「ウー」をつけて呼ぶ。なので、自分の名前は「ウーカン」になる。意味もいいし、呼ぶ人も覚えやすいし、自分も好きなので、最高だと思う。
     以上の理由で、私はこの名前を付けた母にいつもありがたいと感謝している。

    メイ(マレーシア)

     私の正式の名前はLEE JIA MEIである。だが、中国語で書けば、「李佳美」だ。
     ローマ字の名前だけ見れば、意味がないと思うが、中国語の文字を見れば、深い意味が含まれていることが分かる。「李」は名字であり、桃の木に関係がある。名字は父から伝わってきて、家族の名前とも考えられる。「佳美」は私の本当の名前だと考えられ、親がよく検討してから選んだ名前なのだ。「佳」は優れているという意味があり、「美」は美しいという意味を表している。私は中華系だとしても、中国語が書けないが、私の名前だけは子供の時から書けるように練習してきた。
     私の名前は、中国語を知らない親が一生懸命他人に尋ね、多様な文字の意味を一つずつ検討してから選んだ文字だ。そのため、私は今まで、自分の名前を大切にしている。私の名前は親の祈願や希望などが多く入っており、親の最も貴重なプレゼントだと思う。自分の名前は自分のアイデンティティー。だからこそ、いい加減に変えることはできないと考えている。
     したがって、私は「李佳美」と呼ばれていることに誇りがある。この名前は簡単に消えるものではなく、親からの最高のプレゼントなのだ。

    ケン(香港)

     自分の名前は正直に言うと、嫌いだ。
     しかし、姓の「劉」の由来は全く知らない。私は、香港では9割以上の人が自分の名字の由来を知らないと思う。百家姓という、中華系で一番多く使われている姓のランキングで、「劉」は第四位だということだけ知っている。
     それに、「子健」の部分は父母が考えた名だ。意味はすごく簡単で、ただ自分の子供の健康をよくしてほしいという意味だ。しかし、同じ「子健」と呼ばれる人が多くいることを知っている。医者や議員など、同じ名が使われていて、よく聞いたことがある。
     では、姓と名を組み合わせたらどうだろう。同じ名前で呼ばれている人も知っている。その人は映画製作で撮影を担当していて、最近多くの映画を撮影し、香港ではかなり有名だ。しかし、それでも嫌いだ。
     この名前が全く稀ではなくて、すごく悔しいと思っている。二文字で、「慕容」や「歐陽」などの、かっこいい名前がほしい。

    スビル(ネパール)

     私は「タマンスビル」という名前で呼ばれている。ここではタマンは名字で、スビルは名前である。
     タマンという名字の中にもそれぞれの小名字がある。私の場合は、実際の名字はロプチャンである。
     ところが、ロプチャンと言ったら、本名は分かりにくい。だから、ほとんどの人はタマンという名字を使用している。自分の国には125種の名字があり、その中にもそれぞれの名字がある。
     他人に対して「タマン」といったらどんな「タマン」かわかりにくい。この場合、ロプチャンスビルと使用すると、みんなが分かるのだ。2011年の人口調査により、タマンという名字の中には60以上の小名字があることが分かった。
     同じ名字の人とはけっこんできないため、タマンの中にもどんな名字のタマンだろうということが分からなければならない。
     確かに、ロプチャンという名字を付けるのは「タマン」名字の人だとすぐ分かるが、別のカテゴリーの民族であれば、分かりにくいため「タマン」という名字を使用する。あとスビルという名前もめずらしくて、なかなか聞いたことがない。
     したがって、他人とかぶらないように、ユニークな名前と、みんなが知っている名字を付けるべきだ。