• 上級Ⅲ進学「作文」 2024年秋学期

    名前について

    コウ(パラグアイ)

     私には名前が三つある。一つ目は英語、その次はスペイン語、そして最後に日本語の名前がくるのだ。名付け親である父親に聞いたところ、国際的に活躍できるように、どこにいても困らないような名前を付けたかったそうだ。おかげで三つもつけてくれた。これは、私に限らす、兄も同様に名前が三つあるのだ。
     私は、この事に今まで不満に思ったことはなかったが、日本に来てからはさんざんな目に遭った。役所や銀行の手続きなどで名前が入りきらないことが多く、署名をする時はすべて書かなければいけない。とても厄介なことになるのだ。こういう時には、もう少し名前を減らしてもよかったのではないかと思ってしまう。しかし、これを除けば、私は自分の名前が大好きだ。特に気に入っているのは、日本語の名前「こう」だ。漢字は「光」と書く。日本でもそこまで多くない読み方の名前であることもあって、小さい頃はあまり好きではなかったのだが、時が経つに連れ、それを個性と捉えるようになった。今やその名前で本当に良かったとつくづく思う。  
     これからも名前を裏切らぬよう、光るような人生を歩んでいきたい。

    カンココ(ミャンマー)

     私の名前はカンココである。この名前は母が作った名前である。生まれたときからずっとこの名前で自分もこの名前が好きである。
     ミャンマーでは名字がないので、カンココはフルネームである。カンココという名前は2つの部分に分けられる。「カン」と「ココ」で「カン」の意味はミャンマーで男の名前で「まじめ、男前、じょうぶ」である。「ココ」は「おにいさん、せんぱい」という意味がある。母がこの名前をつけた理由は、まじめでしんらいできる男にさせたいからである。私はこの名前の「カン」と言う部分が好きである。自分は個人的に「まじめ」と言う言葉が一番好きで、こう言う言葉が自分の名前であることはうれしい限りである。意味が分かるミャンマー人がその名前を呼ぶたびに、自分は満足感を感じている。年をとったら、もっとこの名前はよりよく自分と合う気がする。ミャンマー語で、年上の男を呼ぶ時、「ウー」をつけて呼ぶ。なので、自分の名前は「ウーカン」になる。意味もいいし、呼ぶ人も覚えやすいし、自分も好きなので、最高だと思う。
     以上の理由で、私はこの名前を付けた母にいつもありがたいと感謝している。

    メイ(マレーシア)

     私の正式の名前はLEE JIA MEIである。だが、中国語で書けば、「李佳美」だ。
     ローマ字の名前だけ見れば、意味がないと思うが、中国語の文字を見れば、深い意味が含まれていることが分かる。「李」は名字であり、桃の木に関係がある。名字は父から伝わってきて、家族の名前とも考えられる。「佳美」は私の本当の名前だと考えられ、親がよく検討してから選んだ名前なのだ。「佳」は優れているという意味があり、「美」は美しいという意味を表している。私は中華系だとしても、中国語が書けないが、私の名前だけは子供の時から書けるように練習してきた。
     私の名前は、中国語を知らない親が一生懸命他人に尋ね、多様な文字の意味を一つずつ検討してから選んだ文字だ。そのため、私は今まで、自分の名前を大切にしている。私の名前は親の祈願や希望などが多く入っており、親の最も貴重なプレゼントだと思う。自分の名前は自分のアイデンティティー。だからこそ、いい加減に変えることはできないと考えている。
     したがって、私は「李佳美」と呼ばれていることに誇りがある。この名前は簡単に消えるものではなく、親からの最高のプレゼントなのだ。

    ケン(香港)

     自分の名前は正直に言うと、嫌いだ。
     しかし、姓の「劉」の由来は全く知らない。私は、香港では9割以上の人が自分の名字の由来を知らないと思う。百家姓という、中華系で一番多く使われている姓のランキングで、「劉」は第四位だということだけ知っている。
     それに、「子健」の部分は父母が考えた名だ。意味はすごく簡単で、ただ自分の子供の健康をよくしてほしいという意味だ。しかし、同じ「子健」と呼ばれる人が多くいることを知っている。医者や議員など、同じ名が使われていて、よく聞いたことがある。
     では、姓と名を組み合わせたらどうだろう。同じ名前で呼ばれている人も知っている。その人は映画製作で撮影を担当していて、最近多くの映画を撮影し、香港ではかなり有名だ。しかし、それでも嫌いだ。
     この名前が全く稀ではなくて、すごく悔しいと思っている。二文字で、「慕容」や「歐陽」などの、かっこいい名前がほしい。

    スビル(ネパール)

     私は「タマンスビル」という名前で呼ばれている。ここではタマンは名字で、スビルは名前である。
     タマンという名字の中にもそれぞれの小名字がある。私の場合は、実際の名字はロプチャンである。
     ところが、ロプチャンと言ったら、本名は分かりにくい。だから、ほとんどの人はタマンという名字を使用している。自分の国には125種の名字があり、その中にもそれぞれの名字がある。
     他人に対して「タマン」といったらどんな「タマン」かわかりにくい。この場合、ロプチャンスビルと使用すると、みんなが分かるのだ。2011年の人口調査により、タマンという名字の中には60以上の小名字があることが分かった。
     同じ名字の人とはけっこんできないため、タマンの中にもどんな名字のタマンだろうということが分からなければならない。
     確かに、ロプチャンという名字を付けるのは「タマン」名字の人だとすぐ分かるが、別のカテゴリーの民族であれば、分かりにくいため「タマン」という名字を使用する。あとスビルという名前もめずらしくて、なかなか聞いたことがない。
     したがって、他人とかぶらないように、ユニークな名前と、みんなが知っている名字を付けるべきだ。

  • 上級Ⅰ進学「作文」 2024年秋学期

    AIについて

    テルミ(カザフスタン)

     最近、AI(人口知能)の進歩が目覚ましく、様々な場面で目にすることが増えています。この進歩に対して、「AIが人間の仕事を奪ってしまう」という意見をよく耳にします。
     AIと言えば、まず仕事や作業の効率化が思い浮かびます。実際、AIの活用によってミスを減らしたり、労働時間を短縮したりすることが期待されています。また、労働力不足の問題を解決し、人間ができないような仕事を可能にすることで、新しい可能性が切り開けるとも考えられます。
     しかし、AIの進歩に伴い、新たな問題も浮上しています。例えば、誤作動やウイルス感染のリスクが増加することや、個人情報の流出といった社会的な問題が挙げられます。さらに、これらの問題が発生した場合、AI自体が責任を取ることはできません。
     AI化は、利点と問題が表裏一体となっています。「AIが仕事を奪う」といった懸念がある一方で、その利点を活かすことで新しい課題を解決する可能性もあります。ただし、AIには創造性が求められる仕事を完全に代替えすることは難しいでしょう。そのため、人間は自分の強みを活かし、今できる仕事を続けることが最善の選択となる場合もあるのです。

  • 上級Ⅱ「作文」 2024年秋学期

    日本のスーパーの肉はまずい

    テイ (中国)

     去年、日本に来たばかりの時、日本語が五十音さえ知らなかった私はお腹が空いていたから、スーパーで買い物することが必要でした。
     スーパーには色々な商品がいっぱいありますが、値段も高いです。「自分は日本語が全然わからないですが、安くて量も多い肉を買ったほうがいいかな」と思っていましたから、猫の絵が包装に印刷されていた肉を選んで買いました。
     その後、家に帰ってすぐにその肉を食べてしまいました。「どうして日本人はこんなおいしくない肉を好んで食べるんだろうか。もしたくさん食べたら、おいしく感じるようになるのかな」と思いました。そこで、我慢してまずいのに、一週間頑張って食べ続けましたが、結局はどうしても食べきれませんでした。ずっとそのまずい味に慣れることができませんでした。
     その一週間で同時に日本語も勉強して、やっとその肉のまずさの原因がわかりました。その肉はペットフードというものだったのです。猫の餌を一週間、一生懸命に食べていたのです。どうりでずっとおいしくなかったわけです。
     それから、二度とこんな食べ物を選ばないようにするため、餌を一生懸命食べるかわりに日本語を一生懸命勉強しようと思います。

     

     

    寂しさ

    エレナ(イタリア)

     中学校に通っていた頃、偶然アニメの世界を発見し、それ以来、日本に対する興味が芽生えました。私にこの興味をもたらしたアニメは「犬夜叉」でした。これは空想の作品で、現代の日本社会を反映しているわけではありませんが、日本の伝統的な文化に純粋な興味を抱かせてくれました。戦国時代を舞台に、日本の神話や信仰を基盤にしているため、さらに知識を深めたい思いが湧きました。
     この興味から、私は東アジアの言語、文化、社会を学ぶ大学に入学し、日本に関するすべて、つまり言語だけでなく、文化、歴史、宗教、文学なども学びました。その結果、日本に来る前に抱いていたイメージと、今の日本に対するイメージは全く変わっていません。だから、「日本の生活に慣れた?」と聞かれると、いつも「慣れるものなんて何もなかった」と答えます。
     日本文化に長年興味を持ってきたため、私の文化的な知識は日本の習慣、風習、伝統、物語、昔話、そして社会や文化の問題について深まりました。このため、初めて日本に来た時は、ずっと住んでいた国に引っ越したような感覚でした。もちろん、完全には理解していなかった部分もあり、その中でも少し残念に思ったのは、対人関係についてです。
     おそらくイタリア人である私は、人との関係を温かく、深く築くことに慣れていたためだと思いますが、ここで知り合った日本人の方々は、長く続く友情を築こうとする姿勢や新しい絆を作りたいという気持ちを見せることがあまりありませんでした。もしかしたら、いずれ去るかもしれない外国人との友情には、あまり関心がないのかもと、自分に言い聞かせて少し納得することもあります。この国に住んで一年半が経ちましたが、続いている新しい友情は一つだけで、それが少し寂しいです。ここでの唯一の心残りは、私はあまり積極的な性格ではないため、生活が少し孤独に感じられることです。